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今日は「世界禁煙デー」でしたね。
うっかりしていました。 なにせ煙草に縁が無いもので・・・。
テレビのニュースで言ってましたけど、岡山のある病院の禁煙外来で禁煙成功者は約6割だとか。
どうやらどこでもそれくらいの成功率のようです。
なぜ禁煙外来まで来ているのに禁煙ができないのか?
何故なのか?
どうもやめる切実感がない人が気楽に禁煙外来に行っているのではないかと思ってしまいます。
切実な気持ちがないと「甘え」が出てしまいます。
例えば、お医者にこれ以上煙草を続けるとアナタは死にますよと言われたら切実な問題です。
やっぱり禁煙にも時期と言うものがあるようです。
でもせっかく禁煙しようと(動機はともかく)センターの禁煙外来に来られたのですから、何かの縁です。
どうか自分に鞭打って禁煙してください。
ここはそのためのサイトです。
本当に今、ここで挫折したらあなたも『根性なしっスね』と自己卑下して逃げ道を作っても、その先は自己嫌悪しかありません。
話はコロッと変わりますが先週九州をウロウロしました。
高速道路のETC1000円がなくなるということなので、それまでにできるだけ走ろうという「せこい」考えで鹿児島まで行きました。
鹿児島ICを1000円で通過した時は助手席の奥さんとハイタッチしたくなりました。
この日はここからさらに南下して指宿温泉へ。
機会があればこの時のこともまた書いて見ます。
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by karadaikiiki
| 2011-05-31 23:42
| 禁煙
このサイト、禁煙の応援サイトだということを忘れていました。(汗)
たまにはタバコの雑談を・・・。
先日重松清さんのエッセイ集の「オヤジの細道」(講談社文庫)を読んでいたら
煙草のエッセイがありました。
題して「喫煙者のユーウツ」ちょっと読んでみましょう。
『この20年間で最も肩身の狭くなったものを挙げよ・・・というアンケートがあった
としたら、おそらく双璧をなすのが「オヤジ」と「煙草」だろう。
つい先日も、20代の知人に「俺たちの学生時代は地下鉄の駅のホームでも煙草が
吸えたんだぞ」と言ったとたん、とんでもない野蛮人を見るような顔をされてしまった。・・・・
かく言うシゲマツも、銘柄こそマイルドセブンのスーパーライトだが、1日に5箱から
6箱。
寝ている時間以外ほとんど煙草をくわえているというありさまなのだ。・・・
外に一歩出ると、煙草サバイバルが始まる。
駅も電車も禁煙、場所によっては路上も禁煙、こじゃれたカフェやレストランでも
禁煙、公共の建物も禁煙、ついにはタクシーでさえ禁煙車が珍しくなくなってきた。
講演やシンポジウムで○○市民会館に出かけ、控室が禁煙のためやむなくロビーの
喫煙ルームに向かい、お客さんと一緒に煙草を吸うときのバツの悪さ・・・
演出効果もパネリストの貫録もぶち壊しである。
駅や空港で重い荷物を提げて煙草の吸える場所を探してさまようときの、ぐったり
とした疲れ・・・
息がゼエゼエしているときに煙草を吸っても、美味くもなんともないのである。
そんな苦労にピリオドを打つべく、先日42歳の誕生日を迎えたのを機に禁煙
・・・いや、そのウォーミングアップとしての減煙に挑んだシゲマツ、最近はボトル
入りのキシリトールガムをお口の恋人にして仕事をつづけている。
だがガムを噛みつづけるのは意外と疲れる。
・・・味がなくなるまでなんとか噛みつづけてからガムを捨て、やれやれ疲れたなあ、
と一息ついて煙草に火を・・って、意味ないじゃん。
そんな根性なしのシゲマツであるのだが、最近「もしかしたら」と思っている仮説が
ある。
花粉症の季節になっても、僕にはまったく症状が出ないのだ。
もしかしたら、これ、煙草のヤニが鼻や喉の細胞のカギ穴をふさいで、アレルギー
反応が起きなくなっているのかもしれない。・・・
そんな妄想が出てくるあたり、もうそろそろ禁断症状の始まりだろうか。
さあ噛んでいたガムを捨て、また煙草を一服。・・・ほんとに根性なしっスね。』
1963年生まれの重松清さん。このエッセイを書いた6年後の今年は48歳の筈。
今は煙草をやめていると、どこかの本で読んだ気がします。
煙草をやめると誓ってまた吸い始める。
この時の自虐の言葉は誰でも一緒なんですね。
これ⇒『ほんとに根性なしっスね』
僕も『ほんとに根性なしっスね』だった。
アナタも『ほんとに根性なしっスか?』
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by karadaikiiki
| 2011-05-20 22:52
| 禁煙
『越畑ふるさと村』という施設が鏡野町にあります。
以前、国道179号を走っていてふと目に止まった案内標識にその名前があった。
いつか行ってみようと思っていて、それが今日になった。
院庄方面から179号を上って男女山公園のトンネルの手前を右に入る。
ここからざっと20km先を目指します。
香々美小学校を通過してだんだん渓谷の奥の里に入る雰囲気になってくる。
右に左にと流れを変える香々美川が、雪解け水でも集めているようなごうごうと音を立てて落ちている。
前方を見れば左右の山々が十二一重のように折り重なって、その間を今走っている。
真経とか百谷とかの小さな部落を通過。
今、田植えの真っ盛り。
山と山際を流れる川に挟まれた狭い田圃はもう田植えも終わったところも多い。
おや、こんな深いところに小学校がある。香々美北小学校。
この辺りを走っていると昭和の20年時代を思い出す。
子供のころまだ着物とゴム草履で遊んでいた、まさに地べたが友達のころ。
別に建物が古いわけではないのにそんな昭和を感じる雰囲気があるのはなぜなのか?
こういった山のふところ深い場所に住居を構えたのはどんな理由があったのか?
大町という部落を過ぎてさらに中国山地の奥深くに入り込む感覚になる。
相変わらず川の水音が大きい。・・ごーっ・ごーっ・・なんと水量の多いところなんだ。
そしてあちこちで湧水が見える。
岩屋と言う部落があったらしくこの辺りは権現乢(ごんげんだわ)という説明看板があった。
そして香々美ダムという小さなダムを過ぎたら急にぱっと越畑ふるさと村が目の前に出た。
「伝説のきこえる部屋」と入口に看板のある古い藁葺民家。
たたら記念館、木彫・陶芸の館が同じ敷地に建っている。
道を隔てた反対側に越畑ふるさとセンターという廃校の利用みたいな施設があった。
静かです。誰もいません。

ここに人家がありそれなりの暮らしとコミュニティーもあったのだろうけど、今はその想像もつかない。
なにか時間が止まった空間にタイムスリップした感覚になる。
このままここに居続けたいと思った。
”ふるさと村”と名のつく施設はあらかた見たけどこの不思議な感覚は初めて。
この感じはうちの奥さんとも共有できたようだ。



こちらのお方の写真がきれいです。⇒<越畑ふるさと村>
わずかに大高下ふるさと村(津山市阿波)に似た雰囲気がある。
古民家の生垣の「どうだんつつじ」が小さな白い花をいっぱいつけている。
これが今度葉っぱが色づく季節はきれいだろうと想像してその時期の再訪を決めた。
越畑ふるさと村を後にしてさらに山を登る。
笠菅峠という峠を登って下ると国道179号の道の駅「奥津温泉」に出た。
今日はここからさらに上斎原から482号に入って鳥取県の佐治へ下りる。
佐治にはもう一つの目指すところの喫茶店がある。
この話しはまた今度・・・。
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by karadaikiiki
| 2011-05-18 00:14
| 日記のようなもの
私の趣味のドライブの裏付けでもあった休日のETC1000円が6月から
廃止になるということ。
これが廃止になったらとてもじゃないけど、いやとても高速道路のドライブ
なんてできません。
そこでせめてあるうちに走ろうと思って今日は周防大島に行った。
今度が3度目。
過去の記事⇒哀悼「星野哲郎」
ここにある「星野哲郎記念館」は何度でも行きたいところ。
昭和にどっぷりと浸るところです。
館内の「星野劇場」で聴く星野演歌に圧倒されます。
そして歌ができるまでのエピソードを紹介している場面で、机の右前にガラス
のどっしりした灰皿で煙草が煙を上げています。
こんな灰皿のある写真を松本清張・司馬遼太郎・藤沢周平、井上ひさし、吉行
淳之介、遠藤周作、その他たくさんの作家の書斎写真で見ます。
おっとこんな書き方をすればタバコのオマージュになりそう・・。
そしてもうこの島へ来ることもないだろうと思えるので大きな島をぐるりと走った。
陸奥記念館に行ったとき駐車場に山形ナンバーの小型乗用車が入ってきた。
一瞬藤沢周平さんを思った。
そして近づいてここまでどんなルートで来られたのかを訊いてみた。
まだ30代の男性の一人旅だったが、聞くところによると日本海を下がってきて、
九州を一周して今、山形へ帰る途中だということでした。
普段は道の駅の駐車場で泊まって洗濯物が増えるとビジネスホテルに行く
のだそうです。
私もそんなドライブで山形にあるという「海坂藩」に行ってみたい。
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by karadaikiiki
| 2011-05-15 23:43
| 純喫茶 涌井
今日の山陽新聞に立花隆さんが寄稿している【大型識者評論 空から見た2か月後の被災地】を読んだ。
震災直後に私が抱いたやり場のない気持ちと同じ"不信"がここで語られていた。
あの日、あの時、私は「天は無慈悲だ!」ということ改めて思った。
まさに「天に情なし」だ。
さらに「天」を「神」と置き換えて私は無慈悲を思った。・・・
このことを答えにならないまでも立花さんの寄稿で何かヒントをもらった気がして、久しぶりに記事のUPをする気になった。
以下記事・・・
『地震津波で起きた大量の犠牲者の死について、
「なぜこんなむごいことが起きるのですか?なぜ神様はそれをお許しになるのですか?」と問う日本人の少女に、ローマ法王は「私には分かりません。私も『なぜなのですか?』と神様に問い続けています」と答えた。
そして「でも神様はいつも私たちのそばにいます」と付け加えた。
・・・さらに続けて・・
橋のたもとの大川小学校で低学年の児童たちが、先生の指示に従って避難しようと動き出したところに津波が襲いかかり、アッという間に全児童108人の7割が水に飲みこまれた。
その子供たちの捜索がまだ続いている。
彼らに命を奪われるべき何らかの正当な理由があったとはとても思えない。
こういう場合、神が返すのはいつも「沈黙」という答えなのだ。
それを不満として、神から離れることを選ぶ者もいるが、答えを自ら探し続け
る者もいる。
答えはないのかもしれないが、私も問い続けたい。
なぜなのです?なぜこれほど多くの人が死ななければならなかったのですか?
答えは見つからないかもしれないが、問い続けることが大切だ。』 ・・・以上
・・・問い続けたら、私の中の神は一体どんな答えを見つけ出すのか?
うれしいことに最近のテレビCMで公共広告のACで『金子みすゞ』 の歌が画面に流れます。
この歌です。↓↓↓
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも
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by karadaikiiki
| 2011-05-12 22:35
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